黒と麻雀

Q.あなたは麻雀が好きですか?

A.はい。

 

Q.あなたはもっと麻雀が上手くなりたいと考えていますか?

A.はい。

 

Q.あなたは麻雀をプレイしていて、楽しいですか?

A.███ あれ ███ ... ██!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上2つのツイートは、自分が初めて三鳳入りした時のものである。

この頃は天鳳で一番上の卓で打てること、そこで戦い続けている強い人たちと戦えることが、何より楽しかった。そしてその中でも、1回でも多く打ち続けたい。ただその一心で打っていた。

 

打っていく中でコツコツとptを重ねていき、8段へ昇段することができた。

けど、天鳳はすんなり9段へ駆けあがれるほど甘くはなかった。

 

 

というか、このツイートしたのほぼ1年前じゃないか...とはいえ、打ってない期間がまぁまぁ長いので、実際維持している日数は全然多くないはず。

 

この頃からだ。三麻から離れ始めたのは。

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33233333333133233333233  途中の1が余計だな

 

長く打っている人なら、これくらいの不調はつきものだと思う。

だが、残念ながら当時の自分はこの不調に耐えられず、麻雀そのものから離れ気味になってしまう。

 

 

こんなことをつぶやいていた。この時ハマっていたのってなんだったっけ。全然覚えてない。

 

やる気すら失っていた。こんな感じで打っていたら、そりゃ上達なんてしない。

 

8~10月の間はは本当に麻雀から離れて行ってた記憶がある。11月にちょっと打ったけど結局すぐに麻雀はほぼ打たなくなった(何をしていたかは、過去の記事に書いてます)。戻ろうという気力も、失いつつあった。

 

だけど、それでも自分は三鳳に戻っていた。

 

 

どんなに辛い展開が続いて離れていったとしても、結局自分は三麻、三鳳を打っている。それは何故か。

自分は麻雀をやるのが好きで、自分にとって麻雀とは、切っては切れない関係であると認識したからだ。

 

幼少の頃から麻雀の存在を知り、ゲーム感覚で遊んでいた。

東風荘で打っていたことや、クイタンの意味を知らずにポンチーかましてたら揃ったのに和了れない手を作り、cpuが鳴いて和了った時はなんで自分は和了れないんだとキレていたことは、今でも覚えている。

 

高校や大学時代の頃も、ちょっとした遊び感覚で天鳳をやっていた記憶がある。

 

そう思いを馳せて感じたことがある。

麻雀は、生きているうちは、何十年経とうが打ち続けることができる唯一のゲームだと。

そして麻雀が存在していることで、自分は生きていることを実感できる。

 

すごく大げさな表現になってしまうかもしれない。だがそれくらい、麻雀が大きな存在として自分の頭の中にいるのだ。

 

 麻雀と共に生きていたい。今はそんな風に思っている。

 

それ故なのかもしれない。

 

もっと強くならなければいけない

麻雀と付き合う中で、今のまんまじゃいけない。強くならなきゃダメなんだ

 

 そんな風に、変わってしまっていないか?

 

1度、肩の力を抜いてみないか。

もっと強くなりたい 強くなって、他の強い奴らとバチバチにぶつかっていきたい

これじゃあダメなのか?黒...

 

~もう1つの問い~ 

 

2月からモチベーションは徐々に復活(底は脱した)、より高みを目指すため、努力していくことを決意したのだが、今日まで大きく成績は伸びず、原点より少し低いところを行ったり来たりしている状態が続いている。

 

これは三鳳に入る前からずっと抱いたりしているであろう感情だが、

自分が下手な麻雀を打ってしまうことが自分の中で何よりも許せず、相手に申し訳ないと思う気持ちがある。 最近はそれに加えて、

 

自分が下手な打ち手だと思われたくない

 

 

この気持ちが芽生え始めてしまったと思うことがある。

 

勝ちたい しっかりとした麻雀を打ちたい ではなく

 

下手だと思われる麻雀を打ちたくない

 

この気持ちの方が、気付いていないだけで強くなっていないか? 

 

 

打っているときは、他人の選択や結果そのものに対して負の感情を持つことはないよう心掛けている。いわゆる「運だけ」をされようが、それも麻雀、よくあることではないかと受け入れているつもりだ。

 

しかし、自分が逆の立場だったら?

 

以前だったら、運だけトップでも和了続けられて最高~~楽しい~~~とか

追っかけて和了を取った~~嬉し~~~~ とか

 

表には出さないが純粋に楽しいと感じることができていたと思う。

 

だが、今の自分はどうか。

 

自分の現状から自分は下手な打ち手であるという自覚が強くなってきている。

その中で運だけトップをしてしまったら?

「気持ちのいいトップが取れた」ではなく

「運だけでトップを取ってしまった」に変わってしまったのではないか?

 

負けて熱くならないことは良いことだと思っている。

しかし、勝っても喜びを得ることができなくなっていることはどうなのか?

 

誤解されかねない表現かと思い補足するが、運だけ勝っても嬉しいと感じないことが悪ということではないし、麻雀の楽しみは他にもたくさんあるだろう。自分や他人の牌譜をじっくり見ながら検討していったり、強い人同士の観戦、手作りの楽しさ...いろいろなものが挙げられると思う。

 

上記の内容はただ自分が昔抱いていた「強い人と戦える楽しみ」を忘れ、「下手だと思われたくない、強くならなければならない」という感情が強くなり過ぎた結果、麻雀に関して何をやっても楽しいという感情を抱けなくなっていることに対する問いかけ・自問自答のようなものと考えていただけると嬉しい。

 

また、勝っても内容が悪いと感じれば素直に喜べないことを否定しているわけでもない。というか自分は大体このパターンが多いので、それ自体を否定することはできない人間であることを付け加えておく。

 

内容がある程度納得できるものだったり、運がよくて気分よくトップが取れた時くらい、素直に、大きく喜んでやってもいいのではないか?と思っている。

 

それ以外でもいい、とにかく何でもいいんだ。

麻雀やってて楽しいと思えるようなことを取り戻してくれないか。

 

 

 

 

 

 

 

麻雀て、なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の過去ツイートを掘り起こしていたら、こんなつぶやきを見つけた。

 

鳳凰卓入りしてから500戦、戦い続けられているよ。

 

僕は、ただただその目を潤わせていた。